JR宇都宮駅西口から出発

宇都宮城は関東七名城の一つとされるお城で、その歴史は古く平安時代後期に藤原秀郷から藤原宗円が築城したと言われている。
藤原宗円は宇都宮氏の祖と言われる人物で以来、鎌倉時代から戦国時代の終わる安土桃山時代まで530年に渡ってこの地を治めていた。
そしてその宇都宮氏は1597年の慶長2年に改易され翌年には蒲生氏郷の嫡男、秀行が宇都宮城主となる。
江戸時代に入ってからは1601年の慶長6年に奥平氏が10万石で入封し、その後、1619年の元和5年に本多正純が城主となった。
この本多正純宇都宮城を近世城郭に作り上げ宇都宮の街づくりも行った人物である。
そして本多正純1622年の元和8年に二代将軍・秀忠が日光東照宮参拝の際に暗殺を企てたとされる、そうあの有名な宇都宮城釣天井事件である。
この事件を改易させられてしまうのだ。
その後は奥平氏、奥平松平氏、本多氏、阿部氏、戸田氏そして深溝松平氏と譜代の大名が城主を務めた。
本多正純が近代城郭に改修した宇都宮城は本丸を中心にいくつもの堀がその周囲を取り囲む連郭梯郭複合式の縄張りとなっている。
明治に入ると宇都宮城戊辰戦争の戦いが繰り広げられ、土方歳三も、この宇都宮城で新政府軍と戦いを交えていた。
この時の戦火で宇都宮城は焼失し、更にその後の市街地化で宇都宮城址は殆ど跡形もなくなり小さな公園に石碑を残すのみとなったけれど、約10年前となる2007年の平成19年に本丸の一部の土塁と清明台、富士見櫓の二つの櫓が木造で復元されたのである。
今回はこの清明台、富士見櫓の二つの櫓を中心に散策することにした。
散策当日となった9月17日(土)は台風接近の為にお彼岸前に帰省した次第である。
画像はJR宇都宮駅西口にあるララスクエアだ。

何やらビルが此方を見つめているんですが(笑)
そして先日も撮影した宮の橋から見る田川である。

宮の橋から田川沿いを進むと押切橋となる。

次回から散策スタートだ。
その1に続く。