五十里ダムの説明

駐車場にも案内板があった。

案内板は当然ながらダム関係についてである。

さて、現在のダムサイトの1キロ程にある上流には1683年の天和3年に日光大地震で山崩れによって天然の堰堤が出来て、湖水が出現した。
この湖水の出現辺りが江戸の日本橋から丁度50里の距離にある事から五十里湖と呼ばれた。 その後、1723年の享保8年8月には雨が続いた後に湖水は決壊して洪水が発生。
ちなみにこの洪水時には温泉が湧き出すのが発見された。 この湧き出した温泉が今の川治温泉である。
そして川治温泉から下の下流側では岩が削られ、竜王峡の峡谷も出来た。
五十里ダムはこの天然の湖水が出来た辺りに建造され、新たに出来たダム湖もそのまま五十里湖と呼ばれているのだ。
次回は更に歴史観察編をお送りします。
続く。