日中線の歴史

さて、現在福島県会津地方から山形県米沢市とを結ぶ主要交通ルートは国道121号線のみとなっているけれど、実はこの区間には東京の浅草から日光線会津線等とを鉄道で結んで栃木県の旧今市市(宇都宮)から東北南部の山形県米沢市までを繋げようと言う一大プロジェクト、野岩羽線建設と言うのが嘗ては存在した。
その中でも福島県会津地方に存在した国鉄日中線(にっちゅうせん)は45年余に及ぶ日中線の歴史と90年余にわたる運動を惜しみ労うかのように1984年の昭和59年3月31日に最後に運行された「さようなら日中線号」をもって廃止された。
運行最終日は約2500人の住民や鉄道ファンで超満員となったようだ。
ちなみに日中線の歴史としては、1922年の大正11年4月に山形県米沢市から福島県喜多方市間が予定線に決定。 しかし時代は太平洋戦争真っ只中で鉄道どころではなくなってしまい予定線は消滅。
そして戦後には地元住民が粘り強く鉄道開通を願う運動が続けられたものの、社会情勢や交通体系の変化で住民の願いは実らずに終わる。
日中線の開業は喜多方から熱塩間のみとなった。
熱塩から先にある福島県山形県の県境にある険しい山塊を突き抜ける大峠を鉄道で通すとなると莫大な予算が掛かることもアシを引っ張ったのだろう。
時刻は15時15分前。 押切川公園体育館の駐車場から歩いて約5分、日中線枝垂れ桜散歩道に到着した。 一瞬観光客が居なくなったので、誰も居ない散策路を撮影出来た。

この枝垂れ桜が全長約3kmに渡り植えられているらしい。

ちなみに日中線は磐越西線の熱塩行き止まりのローカル支線で終わり、赤字を積み重ねた結果、日中線は合理化により喜多方発の朝4時と6時、夕方の18時の3往復のみとなった。
これが「日中は走らない日中線」とも呼ばれることになる。
ちなみに日中とは福島県日中地区の名称である。 結局は日中地区を通ることもなく昭和59年に残念ながら廃止された。
観光客もかなり多く賑わっている日中線跡。
次回は熱塩に向かって散策開始だ。
その3に続きます。