賢沼の復旧工事跡

そして此方側のやや沼の正面は先程散策した中田横穴古墳がある。

県道の擁壁がガチガチに固められていたのはここに大きな沼があるので、土砂崩れや崩落に備え補強したのだろう。
位置からしてここは小高い山の頂上付近となっているようだ。
ちなみに魚見堂や先程の歴史ある楼門付近を見ると東日本大震災で崩壊した護岸が真新しいコンクリートで補強されていた。

魚見堂から少し退いて撮影すると弁財天を祀る御堂やいわき市文化財に指定されている楼門が見える。

沼之内弁財天は807年の大同2年に弁財天をここの御堂に祀ったようだ。
ちなみに807年をWikipediaでチェックして見ると、地球活動期の真っ最中であったようで、我らが栃木県の那須連峰の茶臼岳旧火山の噴火や尾瀬ケ原の燧ヶ岳の噴火、蔵王刈田岳の噴火が起こり、秋田県駒ヶ岳の噴火もこの年であったらしい。 少し歴史を探ると何気に繋がりがあって意外と面白い発見をするのも散策や探索の楽しみでもある(笑)
次回その3に続く。