2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧

偕楽園巨木な杉林の散策路

さて、吐玉泉や太郎杉、次郎杉跡からでは千波湖には行けなかったので再び好文亭近くまで戻って来た。 大きな杉林と熊笹がある散策路は何気に京都に来た感じがする(笑) そして芝生広場の売店付近まで戻ると菁莪遺徳の碑と言うのがあった。 菁莪遺徳の碑(せい…

偕楽園の巨木杉

此方は吐玉泉の案内板である。 大理石で出来ている吐玉泉は綺麗で見ていて癒されるのか、この辺りはかなり見物客が多かった。 太郎杉も巨木でこの辺りは天然なパワーが戴けるかも知れない(笑) ちなみに吐玉泉と太郎杉の近くには次郎杉の切り株があった。 次…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜散策路編〜その2 13:35

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、散策路編のその2を更新。

偕楽園の綺麗な湧き水吐玉泉

好文亭の散策を終えて偕楽園に訪れたなら好文亭の他にもう一つ有名な場所に行くとしよう。 そのもう一つ有名な場所とは那珂川水系の湖である千波湖である。 さて、千波湖に向かうとしよう。 好文亭近くにある一の木戸の門を潜り抜け竹林や熊笹、杉林の散策路…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜散策路編〜その1 19:25

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、散策路編のその1を更新。

好文亭編のおまけ

好文亭の入館料を支払うゲートのところまで戻って来て振り返って撮影。 好文亭の入口前の門には「好文亭」と書かれた木の板が掲げられていた。 梅の花に出迎えられる好文亭の散策路は美しい。 ちなみにこの画像の右側に入館料を支払う料金所がある。 そして…

好文亭の散策を終えて

茶室の何陋庵を見終えて再び好文亭の玄関まで戻って来た。 好文亭も少しずつ散策者が増えて来たようだ。 振り返って撮影。 木造家屋の好文亭は何処となく少し懐かしい感じがする建物であった。 ここから好文亭の内部を見ると田舎の農家の家って感じがする…(…

好文亭〜何陋庵の額と謎の出入り口〜

茅葺き屋根の茶室は外の長押(なげし)に烈公筆草書体で「何陋庵(かろうあん)」の額が掲げられている。 水は残念ながら出ていなかったけれど、夏場は涼しげの水の音が聞こえるかも知れない。 ちなみに茶室の何陋庵の隣には好文亭の本館があり、そこには勝手口…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜最終回 20:20

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編の最終回を更新。

好文亭〜待合にある刻版と茶室〜

待合の案内板もあった。 待合の室内には茶説や茶対、巧詐不如拙誠の3つの刻版が掲げてある。 この刻版は斉昭公の茶技に対する教訓の言葉であるそうで、斉昭公の自筆らしい。 待合の腰掛け式のところには巧詐不如拙誠と書かれた板がある。 この「巧詐不如拙誠…

好文亭〜露地門と待合〜

好文亭の本館の散策を終えて靴を履き外に出て来た。 ちなみに好文亭1階にある藩主の間と言う6畳程の部屋の部屋の撮影は人が多過ぎで撮影出来なかったのは残念である。 その藩主の部屋とは斉昭公が文人や墨客、庶民等に接した部屋であり部屋は透かして見える…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その7 13:30

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその7を更新。

好文亭の本館を見終えて

約20分程で好文亭の本館を見終えて来た。 靴を履き好文亭の敷地内にあるもう一つの家屋、好文亭の別館でもある茶室に言ってみることにしよう。 振り返って撮影。 この好文亭は徳川斉昭が設計した木造建ての趣ある建物である。 次回その7に続きます。

好文亭〜楽寿楼&武者控室

好文亭の3階には楽寿楼(らくじゅろう)と言う部屋が南に面した8畳があり、正室で斉昭公が出庵された。 ちなみに楽寿楼とは、論語の雍也編から名付けたと言われる。 ちなみに「論語 貝塚茂樹著」から参照するけれど、その中に書かれている「人生は、長生きする…

好文亭から偕楽園を見渡す

配膳用昇降機を3階から1階を覗くと少し恐怖を感じる…(笑) 配膳用昇降機がある近くの窓から下を覗くと先程通って来た「頭上に注意」と書かれた廊下の屋根が見えた。 そして全方位に目を向けるとそこには東南西方の勾欄に寄って4辺を眺められることが出来た。 …

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その6 13:00

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその6を更新。

好文亭〜配膳用昇降機〜

好文亭1階の散策を終えて急な狭い階段を一気に3階まで上がって来た。 階段の近くには現在のエレベーターともいえる配膳用昇降機があった。 この配膳用昇降機とは1階の調理室で作ったお膳や酒肴を運ぶのに「階段を上下しなくてもすむように」と、斉昭の創意で…

好文亭の大広間

ご覧のように好文亭の一番広い大広間である。 この部屋は西塗縁広間もあり、御座の間の西側に隣接していて広さも36畳程もある大広間となっている。 そして3間と6間の大塗縁の北側と西側各2枚の杉戸には漢詩を作るのに必要な8,000字が書いてあるそうで、漢詩…

好文亭の扁額

好文亭の一番広い部屋までやって来た。 縁側にも出れてここは開放感があってとても落ち着く場所である。 開放感があるせいか、ここは見物客が部屋にかなり居て撮影はあまり出来なかったのはご了承をm(_ _)m この部屋は東塗り縁広間と言うそうで、板の間の18…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その5 13:10

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその5を更新。

好文亭〜厠と崩落した壁〜

そして厠があった。 ご存知の通り厠は現在で言うトイレである。 厠の前には崩落した壁が展示してあった。 この壁は3.11の東日本大震災の時に崩落した黄土砂壁の残害である。 この辺りの震度は6強を記録したようだ。 造りが木造の好文亭は倒壊までは免れ、一…

好文亭の屋根が低い廊下

好文亭の最深部まで進むと今度は床張りの細長い部屋があった。 細長い部屋を見終えると、そのまま廊下を進む。 廊下は一段と低い屋根になり、身長約170cmの自分の頭がギリギリ通過出来る高さとなっていた(笑) 身長180cmある方は間違いなく頭と柱をゴッツンコ…

好文亭〜萩の間&桜の間〜

庭園や中庭がある好文亭の奥の方までやって来ると、左側に何やら大きな部屋があるみたいだ。 そして萩の間と言う部屋が出現した。 萩の間の広さは8畳程あり、この部屋は藩主夫人のお付の御殿女中が控えていた部屋だそうだ。 萩の間の隣は桜の間と言う部屋が…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その4 19:30

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその4を更新。

好文亭〜清の間&謎の部屋〜

畳が3枚敷かれた小さな部屋は清の間と言うらしい。 清の間は何に使われていた部屋なのかは情報が無かったので不明だけれど、小さな部屋からして旅人や付き人の荷物置き場の部屋だったのかも知れない。 振り返って撮影。 ぽかぽか陽気が気持ち良い小春日和と…

好文亭〜松の間&紅葉の間&竹の間〜

奥に進むと畳8畳程の広さがある松の間があった。 松の間は嘗て藩主夫人が休憩した部屋だったそうで、他の部屋とは造り方が異なるとか。 そして松の間の隣が紅葉の間と言う部屋があった。 紅葉の間は藩主夫人のお付の御殿女中の主だった者が控えていた部屋ら…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その3 15:00

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその3を更新。

好文亭の和室

好文亭に入ってから見てきた2室は床張り、今で言うフローリングだったけれど、ここは和室となった。 部屋の名はつつじの間と言い、広さは6畳程である。 つつじの間を見終えて薄暗い廊下を更に進む。 次回その3に続きます。

水戸偕楽園にある好文亭の歴史

この好文亭は水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭公により、偕楽園内に詩歌の会や茶会等を催す為に建てられたこの建物は1945年の水戸空襲により焼失。 その後1955年の昭和30年から3年かけて復元されたのが今の建物である。 ちなみに好文亭の名前の由来は、中国の故…

茨城県水戸市 春の水戸偕楽園散策〜好文亭編〜その2 10:10

2017年3月19日(日)に梅で有名な茨城県水戸市にある偕楽園に梅や好文亭等を散策した内容の春の偕楽園、好文亭編のその2を更新。